東日本大震災発生後、1時間で42隻の護衛艦が緊急出港できた理由
平成二三年三月一一日、一四時四六分に東日本大震災が発生しました。地震発生の四分 後には防衛省対策本部が設置されて、陸・海・空自衛隊の部隊に必要な処置が指示され、 海上自衛隊は速やかに哨戒機、ヘリコプターを偵察に派出しました。
そして、地震発生の約一時間後の一五時五〇分までには海上自衛隊護衛艦基地の横須賀、 呉、佐世保、舞鶴、大湊から計四二隻の護衛艦が被災地の救援に向け母港を出港しました。 また、民間の造船所で修理中の艦船も修理を切り上げて出港準備が進められ、迅速に被 災地に向けて出港して行きました。
平日の午後とはいえ、これだけの艦艇が約一時間で出港したのは驚異的です。
諸外国の海軍も、想像を絶する能力であると評価していると聞いています。
二、三隻の護衛艦の通常の緊急出港でも、基準は二時間です。
一時間で四二隻もの護衛艦が緊急出港できた。ましてや大湊港は青森県むつ市にあって 地震の影響も大きく、家族のことも気になりながらの出港です。
この事実を見ても、防衛省の対策本部から護衛艦の小さな一パートまで、一つの目標に 向かっていかに一糸乱れない行動を取ったかが想像できると思います。
これは海上自衛隊が、常に状況が変化する海上や海外において過酷な訓練を積み重ね、 指揮官の指揮・統率力と隊員の使命感と実行力向上の教育を継続してきた結果であり、こ の上司について行きたいという、良き部下の気持ちを各レベルの隊員が持っていたからこ そ実現できたものであり、海自のOBとして誇らしく思っています。
自衛隊というとトップダウンの命令によって動く組織、一つ一つ一命令しないと動かな い「直角君」たちの組織というイメージが強いと思います。
指揮官が一つ一つ命令しなければ動かない組織であれば、四二隻の艦艇が約一時間で出 港するのは不可能です。
まして毛布、医薬品、食料の救援物資を積んでの出港には数時間かかります。
ではどうしてほぼ全ての護衛艦が約一時間で出港できたのでしょうか?
それは、海上自衛隊の全隊員の、自ら行動を起こすリーダーシップの育成と良き部下に なる教育や日常の指導の成果であると思います。
そして、この良き部下たちが行うControl by negation(拒否による統制)方式による 業務遂行システムの成果です。
海自部隊のトップの指揮官から護衛艦艦長までの間に約四人の指揮官が存在します。
大規模地震発生時、護衛艦艦長は上位の隊司令に「緊急出港に備えます」といって出港 準備を整えます。そして艦長の意図は護衛艦の全乗員に瞬時に伝わり、乗員は自ら動いて 作業を行います。
このように、上からの命令を予想して下位者が上位者に「こうします」と申請して実行 する。
上位の指揮官は問題なければ「了解」とか「よろしい」で許可する。
問題がある場合は上位の指揮官が「待て」とか「このようにせよ」とオーバーライドし ます。
このコンセプトが自動的に発動されているから、このような驚異的な出港ができたので す。
また、このコンセプトを流れるように実行できるのは、各レベルの指揮官の見事な指 揮・統率と兵員一人一人に至るまでの確固とした使命感、リーダーシップがあってなし遂 げられた快挙であると思います。
そしてこのベースにはこの上司について行きたい≠ニいう気持ちで自ら動く良き部下 と良き上司が、各レベルで連綿として存在していた証左でもあります。
これこそが、組織が一糸乱れない行動ができる所以です。
海上自衛隊が長年にわたって培ってきたこのノウハウこそ、ビジネス環境が目まぐるし く変わり、状況の変化に速やかに対応しなければならない民間企業に反映すべきであると 強く感じています。
海上自衛官の定年は階級によって異なりますが、五三歳から六〇歳です。現代社会にお いては定年退職があまりにも早すぎます。
海上自衛隊で長年にわたり良き上司、良き指揮官、良き部下を経験し、リーダーシップ とチーム育成のノウハウ、特に日本人の特性を活かした強いチーム作りのノウハウが体に 染み込んでいる若き海上自衛隊OBの積極的な社会貢献を促すのも、本書のねらいの一つ でもあります。